失われた30年の起点|1990年代の製造業と生産管理
――1990年代、日本の工場で何が起きていたのか
中小製造業に生産管理はいつから必要になったのか
昨今、製造業DX、スマートファクトリーという言葉はどこでも目にするようになっており、中でもクラウド、IoT、AIに生産管理や工程管理が絡めて考えられるようになってきたと感じます。
今回は、「生産管理システムっていつから始まったの?」という問いに対して調べてみたので記載したいと思います。
Google検索でいろいろ調べてみると、少なくとも1990年代前半には、中小製造業向けの生産管理システムが、市場に存在しておりました。これにより30年以上前には中小製造業で生産管理システムが使われていたということになります。
製造業の歴史からみると生産管理システムの歴史はそこまで長くない印象ですね。
では、日本の中小製造業の現場にとって、生産管理システムとは何だったのか?
- まず、生産管理とは何を管理していたのか
- なぜ1990年代に、生産管理がシステムの導入が考えられたか
を整理していきたいと思います。
1990年代文脈での生産管理とは何をしていたのか
――人ではなく、「ものと情報」を揃える仕組み
当時の中小製造業において、生産管理として捉えられていた変数は、
- 製造番号
- 材料
- 仕掛品
- 在庫(材料、部材、半完品、完成品etc)
- 工程間の滞留
といったものと、ものに紐づく情報でした。
- 進捗
- 実績
- 原価
- 納期
このことから生産管理とは、 人を管理・監視する仕組みではなく、 ものの流れに情報を紐づけるための仕組みと考えていいと思います。(JISやISO等の規格における生産管理はここでは触れません)
当時も、作業者の工数や製造実績も記録されていたとは思いますが、当時の時代背景から察するにものの状態と情報の分離度は非常に高かったと予想できます。
なぜ1990年代に生産管理システムの導入が考えられたか
――「大量生産」から「少量多品種・短納期」への激変
1990年代、日本の中小製造業を取り巻く環境は、大きく変わりました。バブル崩壊後、消費者のニーズは多様化し、製品のライフサイクルは一気に短くなっていきます。かつては、同じものを、ある程度の量をまとめて作れば売れる時代でした。そのため、生産管理も、「紙の台帳」や「熟練者の頭の中」で回っていました。
ですが、バブル崩壊後の1990年代、消費者のニーズが多様化し、製品サイクルが劇的に短くなりました。「必要なものを、必要なときに、必要な分だけ」というジャストインタイムの考え方が、大手メーカーだけでなく、協力工場である中小製造業にも波及してきています。
これが、いわゆる「少量多品種・短納期」へのシフトです。
これにより様々な出荷品が求められ、現場では部品点数が増えるごとに図面も増え、流動する製造番号は増えます。さらに、それぞれの製造番号には異なる段取りと納期が存在します。この潮流が強まる中、人の記憶、勘と経験だけで生産管理を運営することの限界に気が付いてきます。
すると、現場からは、こんな声が出始めます。
- 今の仕掛品は、どこにあるのか
- どの工程で止まっているのか
- 次に、何を優先して製造すべきなのか
それまで生産管理に使っていたホワイトボードや手書き管理は、次第に追いつかなくなる。ここで、「アナログ管理の限界」が訪れたのです。
問題は、現場がサボっていることでも、職人の勘が鈍ったことでもない。
「少量多品種のものの流れに、情報が追いつかなくなった」
このズレこそが、1990年代の中小製造業にとっての、最初の危機でした。
発注企業がものに対する説明責任を求め始めた
――発注企業との力学の変化と、現場の属人化が限界を迎えた瞬間
なぜ1990年代に中小製造業の生産管理がシステム化を考え始めたかの理由は、少量多品種へのシフトもありますが、日本の中小製造業を取り巻く環境が大きく変わったことにあります。
それは、取引関係です。
それまで、受注企業は
- 見積は職人による経験と勘
- 品質至上の徹底で原価はどんぶり勘定
- 納期遅れの際は、現場が気合で朝までになんとかする
という具合に対応してきましたが、発注企業は関係性を保持する姿勢から自身が生き残るために、
- なぜこの価格なのか
- なぜこの納期なのか
- なぜ遅れたのか
もの単位で説明できることを求めるようになり、説明できない受注企業は、改善以前に取引の土俵に立てない状態に陥ることもありました。
説明責任を求める背景には、海外調達のコスト優位性、さらに円高の影響もあり、取引関係の変化を加速させたのだと考えます。
ここから生産管理は、現場改善のための理想論ではなく、取引の土俵から脱落しないための最低限の装備として必要とされていきます。
属人化は「強み」から「経営リスク」に変わる
もう一つの要因は、属人化の加速です。
- この製造番号はあの人しか分からない
- この段取りは頭の中にしかない
こうした状態は、扱うものと情報の量が増え、変化が激しくなると、次第に経営リスクにまで至ることがあります。
社長は、
- 進捗はどうなっているか
- どの製造番号が詰まっているのか
- 今日、何かを意思決定する必要はないのか
を知りたいものの、情報は、人の頭の中に閉じている状態でつかめないでいる。
一見、人の問題かのように見えますが問題だったのは、人ではなく、情報の所在でした。
生産管理システムが果たすべきことは、 人の仕事を奪うことではなく、ものに紐づく情報を、個人ブラックボックスから会社のオープンソースとすることだったのです。
生産管理システムは効率化ではなく現場崩壊を防ぐために導入された
上述で述べたようにこの時代の生産管理は、効率化の仕組みではなかったと思います。
- 納期が守れない
- 原価が説明できる
- ものの所在が分かる
これらの要件を満たすために、 最低限のものと情報が紐づいた状態を作ること。
1990年代の生産管理は、めざす姿を追うためのシステムではなく、 会社のあるべき姿を担保するための地に足のついた仕組みといえます。
なぜ生産管理システムはパッケージ化したのか
――ものと情報を“渡せる形”にするために
1990年代前半、とくに1994年前後を境に、 中小製造業向けの生産管理システムは「パッケージ」という形を取り始めます。
これは革新的な発明というより、技術進歩による必然だったと捉えます。
個別開発では、スピードも算も合わない
それ以前にも、生産管理的なシステムは存在していました。
しかし多くは、
- 要件定義からはじめる独立した受託開発
- オフィスコンピューターの設置前提
という形で、今すぐものと情報を揃えたいという中小企業の要望を満たせず、さらに中小企業の予算感とは噛み合わなかったのが実態です。
パッケージ化の本質は「最適解」ではなく「最低限」
そこで、当時登場した生産管理システムのパッケージが重視したのは、
- 製造番号が追える
- ものの所在が分かる
- ものと情報が紐づく
という、社長、現場のお困りごとの解決に特化したものとなっていました。
高度な最適化やロジックは、あえて前面に出さない、 現場の意向をくみ取り現場の課題を解決できるもの。生産管理システムのパッケージ化とは、ものと情報を最低限そろえた「標準の型」を渡すことだったと言ってもいいのではないでしょうか。
最後に
私の所感や仮説、ネット調査をベースにいろんな視点から生産管理システムの生い立ちを振り返ってきましたが、いかがでしたでしょうか?
私は現代の製造業DXは、特段真新しいものではないと考える派の人間でして、生産管理システムパッケージは今日の製造業DXが解こうとしている問いの原型だったと捉えています。つまり製造業DXはただの単語でしかないと考えています。
今後、世の中は不確実性が増す一方と言われており、変化も早く、そして大きくなるとことも予想できます。
新しいことや、流行りといった新しい風を取り入れることはとても重要だと思いますが、変化に強いあるべき姿を徹底的に固めておくことも忘れないでおきたいですね。