私の身近な禅
こんにちは、テクノロジーチームの早崎です。
最近、禅を自身の生活習慣に取り入れたのですが、これが中々肌に合っておりまして。
今回のブログは、好きが高じて禅寺に通い出した話をしようと思います。
家に篭ることが多い昨今ですので、手軽に身体の調子を整える手段はないものかと始めたのですが、最初はいわゆるマインドフルネス瞑想というのを行っていました。
静かに座って姿勢を正し、自分の呼吸に意識を集中させしっかりと腹式呼吸を行います。これをおよそ20分ほど、起床したタイミングでやります。特に意識していたのは呼吸以外のことに意識を向けないことであり、余計な考えを頭から除くことでした。
これを始めてから随分と寝覚が良くなり、朝の活動が一段と精力的に行えるようになったのですね。
それからというもの瞑想に対して好意的な感覚を覚え、もっと体系立てて学べないものかと考えていたところ、住まいの近くに参禅という自由参加型の座禅会を行っているお寺さんがあるのを知ったのです。
その当時は禅とマインドフルネス瞑想の区別も付かなかったのですが、一度は体験してみるのも悪くないだろうと思い切って参加することにしました。
そこの座禅会の内容は座禅40分+経行10分(歩く座禅)+座禅40分の計90分で、始める前は「80分も座ってられるかい」と正直思っておりました。煩悩ですね。
それが意外や意外、集中していくとスッと時間が過ぎてしまうんです。警策(しばかれるヤツ)も合間に受けつつ、終わる頃には自身の身体と呼吸のみに気を配る時間というのも、ある意味贅沢だなぁと感じるようになりました。
劇的に変わったわけでは無いですが、座禅会を終えた直後は身体全体が冴え渡るような感覚を覚えたんですね。
結果とても良い時間を過ごせたのですが、これ禅とマインドフルネス瞑想の違いってなんだろう?と色々調べた結果、私の認識としては『効果を目的とするか』という結論にいたりました。
というのも、私がマインドフルネス瞑想を始めた切っ掛けも身体の調子を良くしたいであったり、何か自身にとってプラスになることを期待して行ったものでした。
ですが、根本的に禅というのはお釈迦様が悟りを得た境地に至る手段であり、今日に伝わる禅というのも仏教の修行者たちが悟りに至る修行の一環としてあるのだと知りました。身体的な効果を期待すること自体、根本的に方向性が違うのですね。
どちらも良いモノには違いないのですが、見据えた目的にこんなにも違いがあるのだなぁと驚いてしまったのです。
軽い気持ちで参加した座禅会ですが、私の禅に対する認識が大きく変わった1日でした。