ブロックチェーンの奥深さ
こんにちは!ものレボの川田です!
今日は最近関わることになったブロックチェーンの話を少ししようかと思います。
実は元々、ブロックチェーンの経済価値については懐疑的だったんです。
分散コンピューティングであることは知っていたし、非改竄性がズバ抜けて高い技術であるということ、ハッシュを利用した基本的な技術の仕組みも一応理解していましたが、つまりそれが超高可用性でセキュリティレベルも高い中央集権型のデータベースを上回る経済価値が本当にあるのか?と。
結論から言うと、「今はあると思ってる」という感じです。
ブロックチェーンは非改竄性がクローズアップされがちだし、分散コンピューティングも語られることは多いですが、それらが持つ非中央集権という性質の価値については自分も含めて多くの方が経済的観点から深くは理解されていないのではないかと思っています。
例えば、中央銀行を含む銀行やクレジットカード会社等の決済の例がわかりんですが、まずはなぜそれらの機関ないしは会社がこれまで存在していたかという話になります。
これらの会社はざっくり言うと「仲介業」なわけです。
仲介することでお金をもらっているわけですね。
なぜ、お金をもらえるのかというと、本質的に「性悪説」だからです。
例えば、AさんとBさんが取引をするとして、AさんとBさんはお金のやりとりが発生した場合、AさんとBさんがお互いに完全に信用し合える仲だということはビジネスの世界では極めて珍しいことです。
その場合、Aさんのお金がBさんに移転する際、直接やりとりするのはちょっと怖い。
だからこそ、社会的な信用が付与されている銀行などの機関にその信用を担保してもらった上でお金の仲介をしてもらうわけです。
仲介であるからこそ、取引きそのものには銀行が介在しないというのがポイントです。
つまり、この信用を基礎においた仲介というもの自体を「中央」と呼ぶわけです。
そして「中央」の本質は「信用」という構図です。
要するに経済上の取引において信用という中央があるからこそ、取引のイカサマの可能性を排除した合理的なビジネスを思考することが可能になっていたわけです。
実はブロックチェーンが提供するのが、この「信用という名の中央性」と言えるのだと思っています。
テクノロジーでの信用が社会的な信用を代替し、中央という信用をテクノロジーがとってかわることによって「中央を排除する」。
だから「非中央集権」なのです。
世の中のほとんどのシステム及びサービスは「中央が存在することを前提に、末端に対してアプローチするビジネス」です。
一方で、ブロックチェーンは末端に影響を及ぼさず、中央の代わりを担います。
だからこそ、ブロックチェーンは「中央の仕事を自動化して無くしてしまう技術」だと言われています。
そうなると、これまでのシステムが末端にアプローチしていたわけですから、中央は市場としてガラ空きです。
現在は暗号通貨のイメージが強いブロックチェーンですが、暗号通貨に限らず、ブロックチェーンで代替される中央機能がどんどん増えていくでしょう。
中央がブロックチェーン及びDAOに代替されていく世界に当事者として関わることができるように、自身のアップデートを怠らないようにしなければと強く思うこのごろでした。